私がとらわれていた「しなきゃ」
今週のお題を自分流に解釈して投稿します。
PM5:00 。週一回高速道路を走る。
ふと、日の入りが遅くなっているのを実感した。
毎週、同じ時間、同じルートを走っているが、風景の変化が見えてなかったようだ。
気がつけば、夕陽が眩しい。周りは明るい。ついこの間まで暗かったのに。
「いつの間に、こんなに日が長くなったの!」
頭の中の意識が、どんどん変化していく現実に追いついていない。と、いうことか。
かつてのスポーツ選手や芸能人などテレビで久しぶりに見ると「えっ、老けたなぁ。」とか
幼かった子役が「もうこんなに大きくなったの?」などとびっくりすることがある。
気がつかないうちに時間が流れているのだ。
長い夏休み。宿題や勉強をやらずに過ごして、あっという間に9月を迎える。
決して忘れたわけではない。頭の片隅にジーッと存在している。
「まぁ、明日からすることにしようっと。」などと自分を言い聞かせて今日も遊び呆ける。
そして憂鬱な8月31日を迎える。
毎年、この繰り返し。大人になっても同じような過ごし方。大差はない。
「しなきゃ!」でも何故か『先送り』という名の甘い香りに囚われて身動きできない。
死神は前方に居るのではなく、背後から近寄り肩越しから不意に声をかけてくるのだそうだ。
首の後ろに何か吐息を感じた時には、もう遅い。
「人生は短い。」2000年も前にセネカが忠告してくれたことだ。
彼の忠告を無にすることなく、日々過ごしていきたい。
意志薄弱人間なので出来得れば、気張ることのない条件反射のような『習慣』という名の杖で「えいっやぁ」と『甘い香り』を振りはらいなが、淡々と ...
それにしても、その『甘い香り』つまり『先送り』という考えの発生源は、何処にありや?