ひよこの無知独言

日常の営みの中で、考え感じイメージしたことの伝言板

目下、練習中。

今週のお題「練習していること」

 足を前後に開き、後ろ足は踵を上げ体重をのせる。
この形からスタート。
前の足を後ろに滑らせ踵を上げ体重をのせる。前になった足をまた後方に滑らせて踵を上げて体重をのせる。
この動作を繰り返す。ポイントはスムーズであること。頭の高さが一定であること。
ご存知、ムーンウォークの練習だ。

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 マスターしたら、数年前に100円ショップで買った麦わら帽子を被り、家族に披露してあげよう。
職場の連中にも見せてあげよう。
喝采を浴びるか、冷たい視線が突き刺さるか、それとも無視の沈黙に包まれるか、とっても楽しみなことである。

意気消沈している自分に向けて

今週のお題「卒業したいもの」


 アホな自分から卒業したいと長年思っているが、なかなか卒業出来ないでいる。
アホ以外の何者でもないと諦め切ったら良いのかも知れないが ...

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 人と関わっている時の自分の言動や態度。とても不自然、違和感ありあり。省みて、頭を抱え後悔する。特に、時・所・状況(TPO)などにまったくそぐわないアホな発言をはてしなく繰り返す。

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 人の目を気にすることと人に寄り添うということはまったく異なる。
物事を進捗させていくことと自己顕示することは、まったく別のことだ。自分が進捗にどう貢献していくかは、自分の中の問題だ。
視野はあくまで進捗させていくことに向けていくべきだ。そこに私心の余地はない。自分をどう評価するかは、こちら側の問題ではない。
 事実は何か? 事実をそのまま捉えようとするか。
目の前の事実に寄り添おうとするか。

この辺りの自覚が、卒業か落第の分かれ目かも知れない。


「落第しても良いではないか。今が、今が、今が卒業だ。怯まず挑戦せよ。自分よ、元気であれ!」

 

ユトリロから阿修羅へ

 去年の秋、夫婦で京都に小旅行をした。

たまたま『ユトリロ展』に出くわした。

京都駅の伊勢丹の中にある美術館でやっていた。ユトリロの実際の絵をじっくりと鑑賞する機会を持つことがあまりなかったので、ラッキーなことであった。

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 母親がパリで、錚々たる画家達と浮き名を流していたというのは何となく知っていたが、ユトリロ自身がアルコール依存症治療のために絵を描いていたことは知らなかった。多分、それは有名なエピソードなのだろう。

 ショップでユトリロの絵葉書とそれ用の額を買った。

新しくなった自分の部屋にしばらく置いてみた。

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何となくしっくり来ない。妻に買ったピカソの絵の方がハッキリ見えて良かったかも。などと思っていたが、ふと阿修羅立像の絵葉書のことを思い出し、取り替えてみた。

なるほど、こちらの方が今の自分にとってはしっくりする。

黒い鉄瓶ともマッチするようだ。

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 改めて見ると、阿修羅像が魅力的に見える。

またお会いしたいものだ。と思った。

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100年前のモダンな文化を想う。

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 先日、マリー・ローランサンの絵を観てきた。
彼女の淡い色彩に、確かに私の心は安らいだのだが‥‥
マリー・ローランサンとモード』という展覧会なので、同時代のココ・シャネルなどがデザインしたファッションも展示されていた。こちらの方はただ、眺めてるだけだったが、妻は興味深くよく観ていたようだ。

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 私は何故か『戦争』を意識しながら展示物を観ていた。
第一次世界大戦第二次世界大戦の間に挟まれた時代の、モダンな都会的センスの文化。
マリー・ローランサンがココ・シャネルをキャンパスに描いて20年も経たないうちにヨーロッパは、再び破壊された。平凡な日常の暮らしが破壊され、幾万という人のかけがえのない人生が頓挫され生命が失われた。

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 100年後の現在、再びヨーロッパ東部で兵器による破壊行為が行われている。そして昨今の日本の政治や社会の動きを見ると、近い将来、日本も戦争に巻き込まれるのではないかという不安を感じる。その日本の動きには、心ならずもヨーロッパ、ウクライナでの紛争を解決する方向から離れ、大きな戦争の火種を作る方向に向かっているのではないかとさえ危惧してしまう。 

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「20年後、世界はどうなっているのだろう。そして我々の日本はどうなっているのだろうか。」そんな問いかけを頭の中で巡らしながらマリーのモダンなパステルカラーに、私は囲まれていた。

 

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レイングッズ

今週のお題「レイングッズ」

 小学1年生、入学したばかり。
多分、登校第一日目のように記憶しているが違うかもしれない。
雨の日。近所のおばさんからお祝いにもらった傘をさして学校に行き、その傘をなくした。
 朝、生徒玄関は多くの児童、多くの濡れた傘に溢れていた。傘を自分の下駄箱に引っ掛けて教室に行った。
下校時、何本かの傘は残っていたが、自分の傘はなかった。
先生がこれじゃないかと何本か持って来てくれたが、どれも違うものだった。
 近所のおばさんは、とても優しい人。子供心に綺麗な人だなぁと思っていた。
せっかくもらった傘なのに、なくして残念とは、あまり思わず、そういうこともあるんだなぁ位に思っていたように記憶している。
今考えるとそののおばさんも母も、さぞやガッカリしたことだろう。

『鈴木邦男さんを偲び語る会』に参加して

今週のお題「お花見」

 

 2023年春、私は皇居乾通りを歩いていた。
桜は満開の時期を過ぎていた。
それでも桜吹雪のように花びらが舞い散る場面に、一回だけ遭遇出来た。


  願わくは 花の下にて 春死なん 

   その如月の 望月の頃     西行

 鈴木邦男氏が亡くなった。
とても残念だ。
「自由のない自主憲法より、自由のある占領憲法の方がいいじゃないか。」
彼が以前発した、この言葉に共感した。本音が素直に出ているように思った。
右翼でありながら左翼と率先して語り合っていく彼の姿勢に感銘を受け、その強さを憧れていた。
彼を『偲び語る会』があることを、本屋で立ち読みした月刊誌『創』で知った。
鈴木氏を実際に肌で感じることの出来る最後のチャンスと思い、参加することにした。  


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 (皇居内にある旧宮内庁舎と山下通り)

 

 東京駅を降りて、そのまままっすぐに皇居に向かった。二重橋を見たかったのだが、たまたま皇居乾通りが、お花見の為か一般公開されていた。
私は、乾通りをゆっくりと歩いてみることにしたのだった。

 『偲び語る会』では、鈴木氏と生前関わり深かった方々が彼を語っていた。それぞれのスピーチを聴きながら、自分のイメージしていた通りの人だったように思った。
ただ、その中身の大きさ深さは、自分のイメージを遥かに超えていた。
田原総一郎氏をフセインに紹介しようとしてイラクに連れて行ったり、麻原彰晃の娘の松本麗華さんの精神的な支柱のような役割を果たしていたり・・・
父親達がしでかした行動に、今も心苛まされている彼女にとって、鈴木邦男という支柱を失った悲嘆や失望は、計り知れないものがある。
 清貧を彷彿させるようなエピソードは、とても心に残った。病気が悪化するまで『みやま荘』という木造アパートに住み続けたという。関心の矛先が財を成すことでなかったのだろう。
自分の持つ思想信条が、建て前や絵空事ではなく自身の本音、生き方に直結し、真にその通り行動した人だったようだ。
人はそういう言動を「覚悟ある」という。

 日頃、YouTubeでしか見ることのない著名な人たちや興味深く読んでいる本の著者が、実際に自分の目の前で動き話している。その立ち居振る舞いに「なるほど」と何故か納得した気分。何を納得したのか自分でも分からないが。

 第二部の立食パーティーでのスピーチは、談笑などの声で聞き取れないことが多かった。
ある新聞社の記者の方が「忖度して報道している」というようなことを言っていた。当事者達が認めている公然の事実ということか。

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 人にしても制度にしても、それぞれの本分や役割、運用などが全うされてこそ、社会が健全に発展していくのだろうに。何故に時の政権に忖度しながら職務を遂行せねばならないのか? 確かに変だ。日本の社会は変になって来ている。

「鈴木さんは、天皇制をとても大事なものとして捉え、私は天皇制を反対している。でも仲が良い。」と、誰かが言っていた。
そうなんだ。そうなのだ。そういう関係の中にこそ、鈴木邦男氏の真骨頂が現れている。そして、変になっている社会を糺していくキーポイントも、そこにあるような気がしてならない。

  春風の 花を散らすと 見る夢は 

さめても胸の さわぐなりけり     西行

「しなきゃ」でも甘い香りに囚われて . . .

私がとらわれていた「しなきゃ」

今週のお題を自分流に解釈して投稿します。

 

 

 PM5:00 。週一回高速道路を走る。

ふと、日の入りが遅くなっているのを実感した。

毎週、同じ時間、同じルートを走っているが、風景の変化が見えてなかったようだ。

気がつけば、夕陽が眩しい。周りは明るい。ついこの間まで暗かったのに。

「いつの間に、こんなに日が長くなったの!」

頭の中の意識が、どんどん変化していく現実に追いついていない。と、いうことか。

 

 かつてのスポーツ選手や芸能人などテレビで久しぶりに見ると「えっ、老けたなぁ。」とか

幼かった子役が「もうこんなに大きくなったの?」などとびっくりすることがある。

気がつかないうちに時間が流れているのだ。

 

 長い夏休み。宿題や勉強をやらずに過ごして、あっという間に9月を迎える。

決して忘れたわけではない。頭の片隅にジーッと存在している。

「まぁ、明日からすることにしようっと。」などと自分を言い聞かせて今日も遊び呆ける。

そして憂鬱な8月31日を迎える。

毎年、この繰り返し。大人になっても同じような過ごし方。大差はない。

 

 「しなきゃ!」でも何故か『先送り』という名の甘い香りに囚われて身動きできない。

死神は前方に居るのではなく、背後から近寄り肩越しから不意に声をかけてくるのだそうだ。

首の後ろに何か吐息を感じた時には、もう遅い。

「人生は短い。」2000年も前にセネカが忠告してくれたことだ。

彼の忠告を無にすることなく、日々過ごしていきたい。

意志薄弱人間なので出来得れば、気張ることのない条件反射のような『習慣』という名の杖で「えいっやぁ」と『甘い香り』を振りはらいなが、淡々と ...

それにしても、その『甘い香り』つまり『先送り』という考えの発生源は、何処にありや?