ひよこの無知独言

日常の営みの中で、考え感じイメージしたことの伝言板

『鈴木邦男さんを偲び語る会』に参加して

今週のお題「お花見」

 

 2023年春、私は皇居乾通りを歩いていた。
桜は満開の時期を過ぎていた。
それでも桜吹雪のように花びらが舞い散る場面に、一回だけ遭遇出来た。


  願わくは 花の下にて 春死なん 

   その如月の 望月の頃     西行

 鈴木邦男氏が亡くなった。
とても残念だ。
「自由のない自主憲法より、自由のある占領憲法の方がいいじゃないか。」
彼が以前発した、この言葉に共感した。本音が素直に出ているように思った。
右翼でありながら左翼と率先して語り合っていく彼の姿勢に感銘を受け、その強さを憧れていた。
彼を『偲び語る会』があることを、本屋で立ち読みした月刊誌『創』で知った。
鈴木氏を実際に肌で感じることの出来る最後のチャンスと思い、参加することにした。  


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 (皇居内にある旧宮内庁舎と山下通り)

 

 東京駅を降りて、そのまままっすぐに皇居に向かった。二重橋を見たかったのだが、たまたま皇居乾通りが、お花見の為か一般公開されていた。
私は、乾通りをゆっくりと歩いてみることにしたのだった。

 『偲び語る会』では、鈴木氏と生前関わり深かった方々が彼を語っていた。それぞれのスピーチを聴きながら、自分のイメージしていた通りの人だったように思った。
ただ、その中身の大きさ深さは、自分のイメージを遥かに超えていた。
田原総一郎氏をフセインに紹介しようとしてイラクに連れて行ったり、麻原彰晃の娘の松本麗華さんの精神的な支柱のような役割を果たしていたり・・・
父親達がしでかした行動に、今も心苛まされている彼女にとって、鈴木邦男という支柱を失った悲嘆や失望は、計り知れないものがある。
 清貧を彷彿させるようなエピソードは、とても心に残った。病気が悪化するまで『みやま荘』という木造アパートに住み続けたという。関心の矛先が財を成すことでなかったのだろう。
自分の持つ思想信条が、建て前や絵空事ではなく自身の本音、生き方に直結し、真にその通り行動した人だったようだ。
人はそういう言動を「覚悟ある」という。

 日頃、YouTubeでしか見ることのない著名な人たちや興味深く読んでいる本の著者が、実際に自分の目の前で動き話している。その立ち居振る舞いに「なるほど」と何故か納得した気分。何を納得したのか自分でも分からないが。

 第二部の立食パーティーでのスピーチは、談笑などの声で聞き取れないことが多かった。
ある新聞社の記者の方が「忖度して報道している」というようなことを言っていた。当事者達が認めている公然の事実ということか。

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 人にしても制度にしても、それぞれの本分や役割、運用などが全うされてこそ、社会が健全に発展していくのだろうに。何故に時の政権に忖度しながら職務を遂行せねばならないのか? 確かに変だ。日本の社会は変になって来ている。

「鈴木さんは、天皇制をとても大事なものとして捉え、私は天皇制を反対している。でも仲が良い。」と、誰かが言っていた。
そうなんだ。そうなのだ。そういう関係の中にこそ、鈴木邦男氏の真骨頂が現れている。そして、変になっている社会を糺していくキーポイントも、そこにあるような気がしてならない。

  春風の 花を散らすと 見る夢は 

さめても胸の さわぐなりけり     西行