今週のお題「本棚の中身」
手書きのノートは、自分のヘタクソな文字が並んでいて再読する気がしない。でも、パソコンなどに打ち込んだ文章は、文字が公け的なので、再読可能。
電子書籍は、場所を取らず便利だが画面に映る文字が目に痛い。じっくり読んでも、何故か情緒がついてこない。
紙に印刷された文字は目にやさしい。紙の書籍はスペースが必要。匂いもある。
時間や場所を、持ち主である私と共有して謂わば対話可能な間柄を築いていく。
書籍の置かれ方は、その数が多い程、持ち主の性格を現す。つまり、部屋のスペースや本棚の空間を乱雑に占有して私のズボラな性格をあらわにしている。
多くの物を持つ事によって、それらに縛られ身動き出来なくなり自由を失っていく。
多くの物を持つ事によって、豊かさを満喫して幸福感に浸れる。そうかも知れないが、余分にはいらないだろう。
胃の中に収まり切れない食べ物は不要だ。不健康だ。
使い切れない財産は、安心感や幸福感をもたらすだろうが、失う恐怖感や不安感をもたらしてくるかも知れない。
試しに一度、使い切れない財産を持ってみたいものだ。
しかしながら私にとっては、持ち物は少ない方が良い。
『必要最小限』は、張りつめた清々しさや自由を感じる。
出来れば、突き抜けて無所有な生き方を体現してみたい。
私見では、持っている物の多さや少なさと、無所有は関係ない。「持っている」という表現が微妙だけど。
『一を聞いて十を知る』アホな自分はそれが出来ない。『一を聞いて理解出来ず、二を聞いて一を忘れる』でも「知りたい」とか「理解したい」という欲求はある。
従ってその欲求を満たすために本棚の中には、紙の本が溢れていくことになる。
理想は、直観的に本質を把握する人。小さな本棚に数冊の古典などが置いてあるだけ。何度も読み返し対話を繰り返してきた数冊の書籍があるだけ。
そんな理想に近付くために古典の解説書などをまた買ってしまうアホなジレンマ。
いつかは呟いてみたい。
「世の中には、色々知ってはいても何も観えていない人が随分といるものだなぁ」と。