病院(外科病棟)を退院して数日が経った。
終日ベッドの上で生息している。
養鶏業を廃業し、飼育業務から離れる事になった。
本意ではないが、高齢化、人手不足、謂わゆる時代の流れに抗えず、そうなった。残念に思う。
「養鶏、飼育」と言っても卵を産む鶏ではなく、肉になる鶏の飼育だ。
もともと販売関係の仕事に従事していたので、またその分野に舞い戻ることになるだろう。
当面は、ベッドの上で与えられた時間を過ごす。
今日、ふと農民になりたいと思った。
作物と向き合いながら、面倒な人間関係の外で黙々と日々生きていく。
何か「育てる」ことに徹してみたい。
鶏飼育で感じた面白さが忘れられない。
心静かに鶏たちを観察する。
彼等は物言わぬが、様々なサインを発信している。
見逃すことなくどれだけ受信出来るか、どう反応し対処していくか。すべてこちら側飼育者の姿勢にかかっている。
作物(植物)は、鶏のようには動かないし鳴かない。鶏のようには呼吸しないし餌を食べない。鶏とは異なった方法でサインを出している筈だ。それをどう受信し反応していくか。
おそらく日々、黙々と作物(植物)たちと接していかなければ、彼等のサインを受信する事は出来ないだろう。
残された日々。黙々とひたむきに費やしていく。そんな生き方をしていきたい。